今私が読んでいる本の一節を紹介します。
「筆者は、「言語」というものを三種類に分けて捉えている。人前で話をするときや、本を書くときなどに使っているのは人文科学の言語だ。これは一般の人が普段の会話で使っている口語と考えていい。わかりやすいが、世の中には人文科学の言語では的確に説明しきれない事物があるのもまた事実だ。「量子」も、そういう類いのものである。 二つ目の言語は、自然科学の言語である。筆者の理解では、数学も自然科学の言語になる。たとえば、アインシュタインの相対性理論を人文科学の言語で説明するのは至難の業だ。要点を簡潔にまとめても、物理学の相応の知識がなければわけがわからないだろう。だから一般向けの入門書などでは「時速一〇〇キロメートルで走るクルマに乗っているとき……」などと、身近な現象に置き換えたりして説明される。 ところが数式を使えば相対性理論は一発で説明ができる。もちろん、相手にも数式を自然科学の言語として読み解く能力がなければこの会話は成立しないが、数学の能力を持った者同士であればランゲージ・バリア(言葉の壁)はないので、世界共通の普遍的知識として共有できる。
(『ファクトに基づき、普遍を見出す 世界の正しい捉え方』(高橋 洋一 著)より)
三つ目には社会科学の言語があり、これは会計や経済理論などのことである。 筆者はこの三種類の言語を使い分けているが、言語を広げていくと、それだけいろいろな世界が見えてくる。逆に言えば、日本語だけで〝普遍的真理〟を見出そうと頑張るのは、かなりたいへんなことなのだ。」
(『ファクトに基づき、普遍を見出す 世界の正しい捉え方』(高橋 洋一 著)より)