視点を変えれば世界が変わる!

『21世紀の貨幣論』のつづきだ。「実際に手に触れることができて、腐ったり壊れたりしない通貨がマネーであり、その上に債権と債務という手品のような実体のない装置が作られているのだと、どうしても考えてしまいがちだ。だが、現実はその真逆である。譲渡可能な信用という社会的な技術こそが、基本的な力であり、マネーの原始概念なのである。」と記されている。

また、「マネーを見る視点が変わると、経済の世界の現実に対する理解は大きく変わる。」と。読者のみなさんは変わりましたか?

私はまったく、「非常識」な金融の世界を見ています!

ヤップ島の硬貨(石貨)「フェイ」

「通貨について、おそらく他のどの国よりも哲学的な思想を持つ人々がいることを私たちに教えてくれた。ヤップ島の慣行は現代の金本位制度よりも論理的であり、学ぶことは大いにある」と、ケインズは書いている。20世紀の最も偉大な経済学者がなぜ、ヤップ島のマネーシステムにこのような重要で普遍的な教訓を見いだしたのか、それが本書のテーマである、と書き出された書籍が先日ご紹介した『21世紀の貨幣論』である。著者の紹介には「本書が初の著作となる著者のフェリックス・マーティンは、オックスフォード大学で古典学、開発経済学、ジョンズ・ホプキンス大学で国際関係学を学んだ後、オックスフォード大学で経済学の博士号を取得した。」と記されている。その後、世界銀行に10年間にわたって勤務し、・・・と。訳者遠藤真美氏のあとがき文の一節である、「視点を変えるだけで、物事の見え方ががらりと変わることがある」と著者は語る。その言葉どおり、この本はまるで万華鏡のようだ。すばらしい紹介文だと思います。是非、お読みください!

マネーとは何か?

この問題は私のFP事務所の永遠のテーマだと思っています。ここで2冊の本をご紹介したいと思う。一つは『貨幣進化論』というものだ。これは3年ほど前に、私の名前を一字だけ替えた岩村充先生の記されたもので親近感があって手にしたものである。早稲田大学大学院商学研究科教授で、野口悠紀雄先生とともに「ビットコイン」などの話題にはマスコミにコメントを求められるその分野では著名な方なのだが、その当時からマネーの歴史に関心があり十分に参考になったことを覚えている。

もう一つは数日前に読んだ本で『21世紀の貨幣論』である。これを読むきっかけを与えてくれた方は増田丞美氏である。8年ほど前から「オプション」を勉強させていただいてる先生なのだが、「マネーの本質」を議論するとしたら圧倒的に後者のものが面白い。否、私たちは「マネーの常識と非常識」を考えるのであれば断然、後者を参考にしなければならないと思う。日本のおかれた金融、経済環境はこの見方がますます重要になってきていると思う。私はここにFPの立つ位置があると考えます。

 

思考経済とマネー

「部分の総和が全体に一致しない」という根本原理に沿う形の、もう一つの世界観を検討し直すことに軸足を移していかねばならないと長沼伸一郎氏は述べられている。

その際にあらためて重要になってくるのが「思考経済」という言葉であるまいかとも述べられている。これは「いかにして最小限の知識や情報を元に最大限の現象や事象を理解する」という考えのことなのだ。

過去1~2世紀にわたるわれわれの制度や習慣は「部分の総和が全体に一致する」ということを信じることの上に成り立ってきたのである、ところがその前提が崩れたとなると、その常識自体を見直すことが必要になってきてしまい、逆にこれまで二義的な扱いだった「簡略化」「総合化」「直観化」などということが、今までとは次元の異なるほどの意義を帯びてこざるを得ないだろうと考えられる。これらは長沼氏の著書「物理数学の直観的方法 」に記述されているものである。

まさにここに私が主張したい「常識」と「非常識」の考え方が論理的に証明されていることに驚きを禁じ得ない!

さあ!ブラック・ショールズ理論を直観的方法で「常識」と捉え、「非常識」な日本におけるマネーの世界を変革する時だと私は強く思うようになった。

オルタナティブ・ファクトとは嘘か?

今、話題の言葉に「オルタナティブ・ファクト」(もう一つの事実)というものが、トランプ大統領就任の折、注目されています。彼の言動があまりに奇怪に思われるので「嘘」だというイメージが先行しているきらいがあるようです。私はここでそのことの善し悪しを議論するつもりはありません。世の中には「もう一つの事実」は存在することは確かなことだと思うのです。以前、『ゼロ・トウ・ワン』の著者ピーター・ティールが述べている「隠れた真実」や『帳簿の世界史』のジェイコブ・ソールが語った「隠れた真実」としての帳簿の力(会計力)を発見することは大変、困難なことです。しかし、人類は科学の発達、「隠れた真実」の発見によって生活を豊かにしてきました。その歴史を学ぶことは物事の本質はどこにあるのかを知ることにつながるのです。

私たちは「金融工学」とか「デリバティブ商品」など、意味を理解できないものに対しては非常に敬遠する傾向があって、「隠れた真実」を探す努力をしようとしないのではないでしょうか? 「隠れた真実」、本質を理解することは意外に難しいことではないと直感的方法を説いておられる長沼伸一郎氏は述べられています。いわんや、今こそ、日本人にとっては教養としての経済数学が欠かせない時代になったことを強調されています。さあ、みなさん!「常識」に安住しないで「非常識」の世界に一歩、踏み込んでみましょう!「デリバティブ」は意外に馴染みやすい概念だと気付かれると思います。高校数学を再度、学び直しましょう!

数学と物理学の超入門書

私は物理と数学は科学の両輪で、永野先生が「物理・数学の繋がりを理解すれば、わかる楽しさは相乗効果を発揮する!」とおっしゃることは本当だと思います。

さて、そうは言っても数式だらけの専門書は読む気も起らないことも確かなことだと思いますので、以下の2冊をご紹介したいと思います。

2冊とも岩波新書で『零の発見』(吉田洋一著)、『物理学はいかに創られたか』(アインシュタイン・インフェルト著)

歴史的名著で数学・物理をまったくかじったことがない人にもお勧めできます。私のように高校数学・物理をもう一度がんばって理解しようという人の入門書になると思います。世界的著名人がこんなにもわかりやすく書いてくれていたのかと再発見し感動しましたので!!

私たち文系人間に、又もや福音書現る!!

前回の『経済数学の直感的方法』に引き続いてご紹介したい書籍が発刊されました。その著書名は『はじめての物理数学』(自然界を司る法則を数式で導く)、永野裕之先生のものです。両者とも微積分の重要性を主張されています。「微積分学を身に着けることが私たちの人生にもたらす恩恵ははかりしれない」(永野先生の言葉)。また、前著の著者長沼伸一郎氏の「世界史的に見ても、微積分の発見こそがこの300~400年で最大の事件だったことはほぼ間違いない」という言葉があります。今こそ、『金融リテラシー』の常識・非常識を気付くためにも金融数学の基礎を学びましょう!私は中高校のとき算数・数学が苦手で嫌でした。しかし、それでは世の中の見えてるところだけで生きる人生でいいのでしょうか?般若心経(人生を強く生きる101のヒント)の著者公方俊良先生の「常識を、能力を押さえつける重石にするな」の言葉のように「人が常識を放棄するとき、一つの新しい一層明瞭な認識と確信が生まれる」が如くに『金融リテラシー』を探求する努力を勇気をもって行いたいものです。ご紹介した二冊の本は私たちの福音書となるでしょう。

 

ブルーバックスから『経済数学の直観的方法』(確率・統計編) 著者長沼伸一郎氏の本が出た!!

これはまさに待ちに待った本の出現だ!私が長い間、理解に苦しんでいた「金融工学の難解理論」、ブラック・ショールズ方程式を直観的方法で解説する画期的な本である。そして、世の中を一つのアングルで斬るとしたら、『常識と非常識』のテーマで私は考えているのだが、著者長沼氏が言うように教養としてのブラック・ショールズ理論とすることが一般常識として必要であると言っておられることに共感するものです。1970年代発明されたものですので、かれこれ半世紀もたっていますので常識として受け入れる準備を私たちもするべきではないでしょうか?難しいとして敬遠するべきではありません。その意味でこの本は私たちが理解に苦しむところのツボを理系、文系両方からみたうえで解説してくれる親切な本なので非常に分かりやすい、否、分かったと言わしめるところがなんともにくい。是非、読まないともったいない本だと思います。

常識を、脳力を押さえつける重石にするな

公方俊良氏の『般若心経(人生を強く生きる101のヒント)』をもう一度、読んでみよう!   ヒント18項の「かべを破って生きる」にこんなことが書かれています。
我々が住む地球では、あらゆる物質が固体、液体、気体
で成り立っています。その定まった秩序は、すべての人に共通した認識を生じさせます。水といえば液体ですし、水が凍れば固体、水蒸気は気体というように。
そして誰にも共通したこの認識が”常識”をつくり出します。普通、私達はこの常識によって生きています。だから、火の玉や幽霊が出てきたり、UFOが飛来したりすると、たちまち仰天してしまって、思考の混乱をきたします。しかし、地球以外の宇宙では、固体、液体、気体のように定まった形成物質は全体の10パーセントくらいで、他の90パーセントは、これらの崩壊した状態、つまり”プラズマ”であるといわれます。そうすると、火の玉も幽霊もUFO も、別に不思議な現象ではなく、日常現象ということになります。このプラズマと固体との違いを別の言葉に置き換えていいますと、脱常識と常識の差ということになりましょう。脱常識と常識のどちらが自由かといえば、もちろん脱常識です。
よくよく考えてみますと、この地球上のとても身近なところに、プラズマに似た脱常識が存在しているのです。それは何かといいますと、人間の思考です。
しかし、”ああも考える”ことができ、”こうも考える”ことができるプラズマのように自由で素晴らしい頭脳を持ちながら、人間は何と常識に縛られ、かたくなに生きているのでしょうか。
これは、心にガラクタをいっぱい詰め込んでいるためです。自由な発想をするスペースを自らなくしているのです。心のガラクタを放り出しさえすれば、新たなる発想、自由な閃きが生まれてきますのに・・・。
人が常識を放棄するとき、一つの新しい一層明瞭な認識と確信が生まれます。

この引用文は私の思っている”マネー”の世界にも通用することです。私たちが常識だと思っている経済、金融の世界が今、まさに変革の時代を迎えているような予感を感じとっています。もっと普遍的な『マネーの世界』が訪れる時代です。

常に「どうなるか」ではなく「どうしたいか」で行動せよ

 

般若心経(人生を強く生きる101のヒント)をもう一度、読んでみよう!

ヒント14の「岐路を選ぶ心」にこんなことが書かれています。

常に「どうなるか」でなく「どうしたいか」で行動せよ
米国で禅が広まる端緒をつくった釈宗園禅師の言葉に次のものがあります。
“機に臨んで譲ることなく、事に当たって再び思う”
つまり、これがやりたいと思ったら、ひるむことなく事に当たり、また、それを成し遂げたら、やりっ放しではなく、もう一度、再確認せよというのです。今の言葉で言えば、plan →do→check→actionのサイクルでことを行なえということになりましょう。
なりよりも大切なことは”何がやりたいのか”という、人生の目的です。それも、あれもこれもでなく、一つに絞るという集中の原則です。そして、いつ、どのように行なうかです。人生はまさに、こうしたいという”仮説”をたて、それを実証する実践の場といえます。
あなたも、こうしたらこうなるだろうという不安定な確率の人生ではなく、こうしたいからこうするという、仮説と実証の人生を歩む人になって下さい。

私もこうありたいとおもいます。