金融市場にもある「電磁誘導」

この言葉は大栗博司先生の『超弦理論入門』というご本から拾ったものです。これは「電磁気理論」の電場と磁場の間の関係を金融市場での金利と為替の関係に例えて説明されているのですが、私は逆にミクロの世界もマネーの原理(裁定取引)が誘導されていることに驚きを覚えました。

また、「電磁場にも「通貨」がある」とはワイルという数学者が考え出したことで、何か仮想的な通貨があれば、マクスウェル方程式が説明できると指摘したのですが、この仮想的なものとして考えた「電磁場の通貨」の本当の意味が明らかになったのは、その10年後に「量子力学」が完成してからのことだそうです。

つまり、ミクロの世界でも金融為替市場での裁定機会は各国の通貨どうしの相対価値だけで決まるのであって、各国の通貨単位に影響されないという原理が働いているということなのです。「あるものの測り方を変えても力の働き方が変わらない」という原理がゲージ原理です。「ゲージ」とは物差しのように量を測る単位のこと。見方を変えても性質が変わらないことを「対称性がある」といいます。ゲージ原理で物差しを変えるのも「見方を変える」ことになるので対称性の一種です。これを「ゲージ対称性」と呼びます。この文章はすべて上記の本を引用しています。

この考え方が「トポロジカルな弦理論」へと導くキーワードだと私は考えました。先生を含め4人組で研究されていたそうですが、その中の一人はヘッジファンドの重役になっておられるそうです。「マネーの世界」と「ミクロの世界」は相通じるものがあることは間違いないと私は思いますが、みなさんはどう感じられたでしょうか?

「数学の抽象化の力」

今回も『数学の言葉で世界を見たら』を参照します。「数学」は物事を明晰に考える道具であり、また「数学の抽象化の力」は素晴らしいということを知ってほしいと大栗先生は思って、この本を出されていることが文章の随所に現れているので感動します。先生の言葉ですが、「数千年にわたる数学者の努力の跡をたどることは、人類の知の素晴らしさに触れるまたとない機会なので、大切にしてほしいと思う。」と述べられています。

「2次方程式の華麗な歴史」のくだりの中で「3大作図問題」があります。これらを2000年もの年月をかけて数学者たちは解こうと努力しました。ところが、定規とコンパスだけでは作図できないことが証明されてしまったのです。しかし、どうして不可能だなどといえるのだろう? みんなが思う疑問点ですよね。そこで重要になるのが「2次方程式」なのです。この判定基準を明確に述べたのは、人類史上最も偉大な数学者の一人、19世紀のカール・フリードリッヒ・ガウスだとされています。ガウスの発見によって、作図問題は定規やコンパスを使った作業から解放され、ある数が有理数と平方根で表現できるかという問題に昇華され、代数の方法で解くことができるようになったのです。これが「数学の抽象化の力」であると述べられています。

「微分」の概念

『数学の言葉で世界を見たら 父から娘に贈る数学』という本を手にしてみた。著者は大栗博司氏である。世界で活躍されている物理学者で、専門は「素粒子論」と記されている。そういう方が本題にもあるように「父から娘に贈る数学」の本を書いていることに興味がわいた。

読んでみるうちに大栗博士の虜になってしまった感がある。なかでも「微分」の概念の紹介には娘さんにこういう風に話したら解ってもらえるんだなとこちらが納得させられた次第です。

皆さんも是非お読みください!

あの有名なパラドックスのゼノンの時代からニュートンやライプニッツまで2100年以上の年月がかかったと記されている「微分」の概念をわたしたちはひとっ飛びで理解に漕ぎつけることを請け合います。

「物理学とは、常識に対する挑戦である!」

この言葉は松原隆彦先生の『目に見える世界は幻想か?(物理学の思考法)』というご本の「まえがき」の中にある。「常識とは、人間の思考を根底から支配していて、そこから抜け出すことはとても難しい。物理学者にとっても、それは同じである。」と言っておられる。また、「この世界が人間の常識的な感覚で思うようなものにはなっていない、という事実だ。これまでの思考法が通用しないとなると、苛立ちを覚えたり悲しい気持ちになったりするが、それは次へ進むために必要なスプリングボードだ。逆境から立ち上がると、それまでに見えていなかった地平が見えてくる。物理学の紆余曲折には、そうした要素が満ち溢れていて、読者が生きていく上においても、なんらかのヒントになってくれるのではなかろうか。」と述べられている。

「数式・図表なしの新物理入門」と帯に書かれている通り、まったくない。しかし、現代の物理学までの紆余曲折が素直に頭の中に入ってくるので、是非、お読みいただきたい。「マネーの世界」を読み解くヒントが満載だと考えているところです。

ブロックチェーンが通貨と金融を変革する!

この言葉は野口悠紀雄先生の「インターネット時代に現金が必要」という実体験談の中で述べられている。書籍名は『ブロックチェーン革命』である。「「インターネットで情報は送れるが、経済価値は送れない」ということを嫌というほど悟らされた。ウェブでの支払いがクレジットカードで簡単にできてしまうことから、われわれはインターネットで簡単に送金できるという錯覚に陥っている。しかし、それはコストがかかることなのだ。もちろん、銀行にも情報革命の影響は及んでいる。しかし、その中心に鎮座しているのは、1970年代のメインフレーム・コンピューターだ。銀行業界は強い参入規制によって守られてきたので、効率化をするインセンティブがなかったのだ。この状態を根本から覆す技術革新が、いま始まろうとしているのである。それがブロックチェーン革命にほかならない。」と記されている。

わたしたちはこの金融革命の時代に身を置いていることの正しい認識を持とう!

「ビットコイン」は非常識ではなく、常識なのである。

現代経済システムを支配する重要な技術

「銀行業というシステムの真髄はバランスシート全体で資金の支払いと受け取りを一致させることにある。」

「銀行は長期の資産と短期の負債の資金ギャップを解消する。このように流動性リスクが管理されているから、銀行の債務はマネーになる。これはいまも銀行だけに許された領域だと考えられていた。何と言っても、主権者から特許状を与えられているのは銀行だけだし、信用をマネーに変えることができるのは主権者だけだ。そうだろう?」

以上の文章は『21世紀の貨幣論』に書かれている内容だ。

また、経済学とファイナンス理論の発展の歴史や「マネー」、「銀行業」、「金融」という社会的技術の捉え方が正統派と異端の系譜の本質的な違いを余すところなく伝えている。この変遷が「リーマンショック」の世界的金融危機に繋がり、何の対処策ももたらさなかったことが明確に理解できる。

さて、私たち日本の金融環境は正統派、異端の系譜どちらなのでしょうか?

私のアングルからいいますと「常識、非常識」どちらなのでしょうか?

視点を変えれば世界が変わる!

『21世紀の貨幣論』のつづきだ。「実際に手に触れることができて、腐ったり壊れたりしない通貨がマネーであり、その上に債権と債務という手品のような実体のない装置が作られているのだと、どうしても考えてしまいがちだ。だが、現実はその真逆である。譲渡可能な信用という社会的な技術こそが、基本的な力であり、マネーの原始概念なのである。」と記されている。

また、「マネーを見る視点が変わると、経済の世界の現実に対する理解は大きく変わる。」と。読者のみなさんは変わりましたか?

私はまったく、「非常識」な金融の世界を見ています!

ヤップ島の硬貨(石貨)「フェイ」

「通貨について、おそらく他のどの国よりも哲学的な思想を持つ人々がいることを私たちに教えてくれた。ヤップ島の慣行は現代の金本位制度よりも論理的であり、学ぶことは大いにある」と、ケインズは書いている。20世紀の最も偉大な経済学者がなぜ、ヤップ島のマネーシステムにこのような重要で普遍的な教訓を見いだしたのか、それが本書のテーマである、と書き出された書籍が先日ご紹介した『21世紀の貨幣論』である。著者の紹介には「本書が初の著作となる著者のフェリックス・マーティンは、オックスフォード大学で古典学、開発経済学、ジョンズ・ホプキンス大学で国際関係学を学んだ後、オックスフォード大学で経済学の博士号を取得した。」と記されている。その後、世界銀行に10年間にわたって勤務し、・・・と。訳者遠藤真美氏のあとがき文の一節である、「視点を変えるだけで、物事の見え方ががらりと変わることがある」と著者は語る。その言葉どおり、この本はまるで万華鏡のようだ。すばらしい紹介文だと思います。是非、お読みください!

マネーとは何か?

この問題は私のFP事務所の永遠のテーマだと思っています。ここで2冊の本をご紹介したいと思う。一つは『貨幣進化論』というものだ。これは3年ほど前に、私の名前を一字だけ替えた岩村充先生の記されたもので親近感があって手にしたものである。早稲田大学大学院商学研究科教授で、野口悠紀雄先生とともに「ビットコイン」などの話題にはマスコミにコメントを求められるその分野では著名な方なのだが、その当時からマネーの歴史に関心があり十分に参考になったことを覚えている。

もう一つは数日前に読んだ本で『21世紀の貨幣論』である。これを読むきっかけを与えてくれた方は増田丞美氏である。8年ほど前から「オプション」を勉強させていただいてる先生なのだが、「マネーの本質」を議論するとしたら圧倒的に後者のものが面白い。否、私たちは「マネーの常識と非常識」を考えるのであれば断然、後者を参考にしなければならないと思う。日本のおかれた金融、経済環境はこの見方がますます重要になってきていると思う。私はここにFPの立つ位置があると考えます。

 

思考経済とマネー

「部分の総和が全体に一致しない」という根本原理に沿う形の、もう一つの世界観を検討し直すことに軸足を移していかねばならないと長沼伸一郎氏は述べられている。

その際にあらためて重要になってくるのが「思考経済」という言葉であるまいかとも述べられている。これは「いかにして最小限の知識や情報を元に最大限の現象や事象を理解する」という考えのことなのだ。

過去1~2世紀にわたるわれわれの制度や習慣は「部分の総和が全体に一致する」ということを信じることの上に成り立ってきたのである、ところがその前提が崩れたとなると、その常識自体を見直すことが必要になってきてしまい、逆にこれまで二義的な扱いだった「簡略化」「総合化」「直観化」などということが、今までとは次元の異なるほどの意義を帯びてこざるを得ないだろうと考えられる。これらは長沼氏の著書「物理数学の直観的方法 」に記述されているものである。

まさにここに私が主張したい「常識」と「非常識」の考え方が論理的に証明されていることに驚きを禁じ得ない!

さあ!ブラック・ショールズ理論を直観的方法で「常識」と捉え、「非常識」な日本におけるマネーの世界を変革する時だと私は強く思うようになった。