マネーの正体は数学

わたしは小学、中学までは算数数学という科目は嫌いではなかった。
というより好きだったし、体育と数学は人より優れていた。
しかし、高校数学に入った段階から好き嫌いとは別の感情に覆われてしまったように思う。
それはどうしても理解できないから諦めてしまうという挫折感を味わったのだと思う。
高2のとき文系理系のクラス分けがあり、文系に入らざるを得なかった頃から、自分は文系人間で
化学、物理。数学は不得意科目で理解できないものだとレッテルを張ってしまったのだと思う。
私たちの学年は6クラスあり6組が理系クラスで秀才、後のクラスは文系で強いて言えば数学を必要としない
学部大学を目指すクラスとなったのではなかろうか。この分断された世界は未だに尾を引いている。
当時の経済学部を専攻しようと思うものは文系の世界に属していたと思う。今、思えば何故だろうと思う。
世間の風潮が経済学部に進学するときは数学は必要ないと考えられていたのだろうか?
確かに、私は大学入試試験には数学が必要なく経済学部に入学できたのです。
大学に入っても数学は必要ではなかったことを思い出します。記憶に残っているとしたら、サムエルソンの「経済学」
という分厚い上下2冊の本や経済史の授業、行列式を使った経済数学科目もあったとは思いますが、学部全体を眺めてみると
「マル経」「近経」に分かれていたようです。そういった世界ですから数学は必須ではなかったのです。
そして、大学を選んだ時と同じように就職にも文系人間が入れる世界の門を叩くことになったのでした。
経済を理解したいとう気持ちはずーと持ち続けていましたから証券会社を選んだのは不思議ではないと思います。
証券会社に入ってからも数学の素養がないからということで仕事に支障をきたすようなことはありませんでした。
私の証券会社時代は、バブル経済をもろに経験することになったのですが、世の中の仕組みをわかるどころではありませんでした。
日々の業務に追われ、流されている自分を横目で見ながらどうすることもできず、数学に出会う機会は全くありませんでした。
そして、私が会社を辞める5、6年前だったと思いますが市場調査部の方だったと思います。その方が講師で「オプション」を
勉強する機会があったのですが、その時に強烈に覚えていることは高校のときに味わった挫折感がトラウマとなっていたのです。
あの数学に対する拒絶感をまた味おうなんてと思いました。いま、考えてみるとこの直感は正しかったと思います。
なんと、「数学」そのものに私は出会ったのですから。

前置きが長くなって申し訳ありませんでした。マネーの正体は「数学」でした。その話に戻りましょう。

高橋洋一先生は『数学を知らずに経済を語るな!』とプラトンが言ったのを捩ったのでしょう、というご本を書かれています。
私のようにド文系人として半世紀あまりを生きてきたものが、言うのもなんですが、あえて言いますと
世の中の仕組みを数学で理解するほうがわかりやすいのではなかろうか?ということです。
経済のしくみをわかりたいという欲求が数学という道具を使って探求できるという感じではないでしょうか。
高橋先生は高校数学ぐらいまでのもので経済を解き明かしているようなことを言われています。
また、最近、読んだ西成活裕先生(渋滞学という学問の確立者)は中学数学までで十分だということを言われています。

突然ではありますが、マネーの話に入ります。「ビットコイン」が誕生したのは、謎の日本人(?)サトシ・ナカモト
の論文がメーリングリストに投稿された、2008年11月1日であるとされています。これは同年9月15日のリーマン・ブラザーズの破綻による
金融危機の連鎖、日経平均が一時7000円を下回ったなど、悪夢のような10月がようやく終わった、
その次の日ということになります。
どうして、経済オンチの日本人が数学の塊とも言っていいほどの「マネー」を誕生させられたのでしょうか?
私は、どうも腑に落ちません。
世界の中の日本を特異な国として見ていた当時の状況がなせる業ではないかと思っています。
現に物理学者にはノーベル賞を受賞しているひとは何人もおられますが、経済学では一人もいないではないですか。このアンバランスを
日本人以外の人が揶揄してつけた名前ではなかろうかと思っています。

私たち日本人は数学という道具を通じて世の中を見るのに不慣れです、というか、教育体制が時代に合っていないのではないでしょうか?
最近は、小学生にも株取引を教えているそうですが、まったくもっておかしなことです。そういう時間があるのならもっと算数や数学
を教えるべきです。なぜ、数学を学ぶのかを理解させるには実社会でどのように数学を使っているのかがわかるようなカルキュラムに
変えてはいかがでしょうか? 小手先の諸策では「金融リテラシー」の普及は望めず、「仏を作って魂入れず」の故事ごとく悪弊が横行する
だけです。この過ちは消費税導入後の経過をみると歴然としています。どうして、私たちの国は何度も同じ過ちを繰り返すのでしょうか?
どうも、世の中のことは自然にあるもので私たちがどうしようもできないものとして諦め、受け入れるのではないでしょうか?
わからないものを安易に肯定し、論理的に物事を考え抜く力がないのではなかろうか。そして、そのことが逆に、見えないものに畏怖の念を持ち、
忌み嫌う風潮を温存させているのではないかと心配しています。

野口悠紀雄先生や髙橋洋一先生は理系の分野から経済へ転身された方々なので、数学の目を通じて世の中を
見ているのだと思います。私の例では何なのですが、高校時代の同年配の方々を推測するには8割がたは文系で
その後の人生で数学に出くわすことは滅多にないのではなかろうか思うのです。また、あったとしても、私と同じように
わからないものには蓋をして見てみないふりをしているのではなかろうかと危惧しています。

私は敢えて言いたいのです。私たちにとって生活に欠かせない「マネーの本質が数学である」ということを!
さあ、どうですか? 見てみないふりは出来ますか? みなさん、できないはずです。一緒に数学にもう一度
勇気をもって出会おうではありませんか!

見てみないふりをすることはもう出来ないでしょう。

最後に、数学を通じて経済を見たとき、今度の消費税増税は絶対にさけるべきです。
我が国の歴史を振り返ると「大東亜戦争」、「バブル崩壊後の失われえた20年」、・・・。
そして、今回の「消費税増税」。何回誤った道を選択すれば気が済むのでしょうか?
これは、ひとえに「数学力」の欠如にほかなりません。

消費税増税に断固反対しよう!

以下に、

貯蓄塾の塾長「 金刺 知徳 」氏の反対意見を引用します。私も全く同感です。

日本の消費税が上がろうとしている。
皆さんは消費増税に賛成だろうか?それとも反対だろうか?
反対の声があまり上がっていないので“多くの人は賛成”なのだろう。
お金の専門家の多くは何故賛成(やむなし)なのか聞くと「社会保険が崩壊する
ので増税する必要がある」だとか「政府の借金が多いので」だとか素人みたいな
理由を答える。
素人ならともかくプロがこんな事ではダメだ。
断言するが消費税を上げれば日本の経済は再びデフレに戻る。
そうなる事によって一番ダメージを受けるのは「雇用者」である。
ここで私が「雇用者」と強調したのはある理由がある。
実は多くの経営者は消費増税に関して反対の意思を示していない理由はここにある。
これを考察してみよう。
■法人は正確に消費税を納めていない
日本の消費税は“みなし仕入れ率”などという非常に杜撰な制度をとっている。
一言で表すと「貴方の会社のカテゴリは〇〇なので、仕入れ率は△△%で計算
していいよ」というものだ。
実際にその仕入れ率で仕入れているならば納める消費税はその通りになるが、
実際に多くの企業はみなし仕入れ率よりも低い仕入れ率で仕入れている。
つまり“消費税を受け取る金額と納税する金額に乖離が出て儲かる”という事だ。
多くの経営者はこれを知っており消費増税されればもっと儲かるので反対する
訳がないのだ。
残念ながら日本には消費の落ち込みとかそんなものは全く気にせず税金を
“ちょろまかす”事ばかり考えている経営者が多いという事です。
一般的に消費税が上がれば消費が冷え売り上げが下がるので“経営者の立場から
見て反対するのが普通”のように見えるが“日本だけは”そうではないのだ。
よって消費税が増税されて困るのは経営者以外となる訳です。
■諸外国の消費税はインボイス式
よく「他国ではもっと消費税率が高い」という人がいます。
その人達は諸外国と日本の消費税のルールと用途、財政の状況を正確に把握
してモノを言っているのだろうか?甚だ疑問である。
先程も述べたが、日本の消費税は経営者が儲かるように出来ており、本来
捕捉率が高いと言われているのだが日本のそれは先進国で一番捕捉率が低い。
では何故他国の消費税の捕捉率は高いのか?
これはインボイス式を使っているからだ。
インボイス式を知らない人はいないと思うので説明は割愛するが、インボイス
式を採用すると「どこにいくらの税金を支払ったか?」の記録が取れる。
仕入れ率が正確に解り消費税の捕捉率が上がるのだ。
経団連はこのインボイス式をずっと拒んでいる。
何故ならみなし仕入れ率が使えなくなってしまうからだ。
実は経団連はマイナンバーも頑なに拒んでいた。
何故なら収入や資産が捕捉されやすくなるからだ。
この様に日本の消費税は“経営者以外から巻き上げるための税金”になっている訳です。
これを是正するだけで現状の税率でも、もっと言えば5%に税率を下げた
としても現状の税収を確保する事ができるのだ。
現に景気刺激策の為に消費税を下げてきちんと税収を上げている国は複数存在する。
■お金の専門家なら「消費税を上げたい人たちは誰なのか?」理解しないといけない
そもそも消費税は何のためにあるのだろうか?
「消費」に「税を課す」のですから、消費を抑制するための税金だというのが解ります。
ではどういったときに消費税を上げるべきなのか?それは消費が過熱し物価が
上がりすぎる見通しがついているときだ。
それ以外の時に税率を上げる必要性は基本的には無い。
そもそも消費税はどんな税金だろうか?
全ての人が一律に同じ税率で納める税金である。
という事は収入に依存しないのだから“再分配機能が無い”のが解りますね。
つまり「社会保障に使うのはナンセンス」という事です。
そもそも社会保障は再分配の最たるものですから。
年金財源や健康保険の財源に消費税を使うことは高収入の方や資産家が有利
になるだけなのです。
“本当に社会保険に税金を投入したいなら”所得税や法人税を増税すればいい。
所得税や法人税は累進課税で再分配率が高く、本来の社会保障としての
機能を果たす事ができる税だと言えます。
本来なら税ではなく社会保険料を上げるべきところなのだが、こんな
ことは財務省も経団連も絶対に口にしないだろう。
何故なら財務省にとって社保は利権の拡大につながらず、経営者にとって
社保はただのコストプッシュ(労使折半なので)だからだ。
何故か消費増税の話題しか出ないのは“高額所得者や経営者といった影響
を持っている人たちが働きかけているから”だというのが透けて見える。
私達、お金の専門家はこの消費税の件について間違った認識を持つことは許されない。
何故ならクライアントの資産形成を大きく損なう原因を作ってしまうからだ。
何故消費税を上げるのか?について「年金や健康保険のお金が足りないから」だ
と認識している人は意識を改めてお金についてもう一度勉強しなおすと良いだろう。
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≪執筆者紹介≫
金刺 知徳  
株式会社ジートレンド
貯蓄塾 塾長
マーケティングプランナー/経済研究家
AFP(日本FP協会会員)
証券外務員1種(日本証券業協会)
「お金」に関わる学問を研究し、解りやすくアウトプットする
大人のためのお金の学校【貯蓄塾】を運営。
数学、経済学、心理学、地政学、等様々なアプローチで
資産形成、子供の教育、人材育成までマルチな講演を行っています。

以上、みなさん、読んでいただけたでしょうか?

今朝の佐賀新聞の論説文の「必ずや消費税増税はしなければならない。」という賛成派が世論の流れとしたら、「お金」にかかわる専門家として絶対反対を表明します。

好きなことを必死で探そう(人生は一回だけ)

このテーマは今朝、読んだ佐賀新聞の『14歳の君へ(わたしたちの授業)』第15回目の今月の先生、田原 総一朗さん(ジャーナリスト)の演題です。是非、みなさんにも読んでほしいから掲載させていただきます。田原さんの『必死で』に感動しました!

有明海沿岸道路

我がふるさと、白石平野に佐賀福富道路が六角川の下流を跨いで遂に、上陸しようとしているところの写真です。

沿岸道路の福富ICが完成すれば、交通の便は良くなるでしょう!

出入口付近には、2月1日のオープン予定の「道の駅しろいし」が建造されています。下の写真は、今のものです。

ブラック・ショールズ理論の直観的な理解

もう一度、2016年に読んだ『経済数学の直観的方法(確率・統計編)』を読み直してみよう!

「確率・統計」を根本的に学び直すには上記の理論は絶好の題材で、恐らく文系理系を通じてこれ以上のものはないように思われると記載されています。長沼先生のこのご本は3年前に紹介させていただいたのですが、読み返すことによって今回、「気づき」があったので書かせていただきます。

ご本を読んでいただきますと分かりますが、結論は「利益は時間tに比例して拡大」ということなのです。このことは「常識」でしょうか、「非常識」でしょうか?

前回も書いたように、筆者は金融の話よりもっと大きな視点で、広い教養の話題として捉えるブラック・ショールズ理論の必要性を叫ばれています。私も感銘を得けたのですが、具体的にそれを実証する術はあるのでしょうか?

私の「気づき」というのは、このご本が出版された時期と呼応するするように、増田丞美氏の主催される「OCFC」という「オプション・キャッシュフロー・クラブ」に入会したのですが、この二つの事柄は全く関係がありませんでした。しかし、長沼先生が言っていることと増田氏が実践していることが日が経つにしたがって増々シンクロナイズドしていくように思うようになったのです。

誤解なさらないでほしいのですが、残念ながら私の成果は上がっていません。悪しからず。

これから何について学ぶべきか

「もし若者たちに「これから何について学ぶべきか」と問われたら、私は次の3つを挙げる。

語学、会計学、そして数学である。

とくに昨今、世の中は数学の中でも「統計学」に注目しつつあるようだ。」

という、前書きで始まるご本が出版された。『図解 統計学超入門』著者は私のブログに時々ご登場願う髙橋洋一先生です。

ご本の内容を「数字アレルギー保持者の筆頭格である、彼女のこの手の要望は毎度のことであり、これまで経済学や会計学についても同様の経緯で執筆してきた。」ということで、私たち初心者向けの「統計の初歩の初歩」と呼ぶべき入門書であると紹介されています。

面白いというより、「順列と組み合わせ」、「正規分布と二項分布の関係」、「中心極限定理」などの考え方が腑に落ちること請け合いです。是非、お読みください。

本文中の箇所を何か所か引用すると、

「数学の苦手な人ほど数式を見ると、「頭が痛くなりそう」だの「目が滑る」だのというが、そうして思考停止させてしまうから、何もわからないのである。」

「正規分布、二項分布、中心極限定理といった知識が身につくことで、世の中の見方が変わるのだ。見ているつもりで見えていなかったことに気づける、といったほうがいいかもしれない。」

「実際、私は大学で数学を専攻したが、数学の公式はほぼ覚えていない。ただ、どう考えればいいのか、どの方向へ向かえば解が導き出せるのかはわかっている。」

などの箇所が印象的だった。

最後に、「統計学とはどういうものか」に答えている文章を引用したい。

「つまり、全数調査をしなくとも、もっと少ないサンプルのデータだけで、限りなく全数調査の結果に近い数値を、割り出すことが出来る。これが統計学である。」

「わざわざお金と労力をかけてまで、膨大なデータを集めるのはムダなのだ。統計学がこのムダをきれいに解消してくれるわけである。」

郷土の偉人 志田林三郎

本書は一般社団法人 電気学会が発行したものです。

今日、明治維新150年記念事業 特別企画展 「志田林三郎」

~幕末維新を駆け未来を予見した若き電気工学者~

が多久市郷土資料館で開催されたので、義兄と一緒に見に行った。兄は多久出身なので、以前から「志田林三郎」という天才がいたということは知っていたのだが深くはしらず、日本で最初の工学博士ということぐらいだったとのこと。

この日は、国立科学博物館のグループ長 前島 正裕氏の講演会も聞くことが出来た。

私が驚いたことは1856年2月1日に生まれた(饅頭屋の息子らしい)人物が1880年にはその当時の世界では随一のグラスゴー大学に留学し、物理学の権威でもあるケルビン卿から学び、才能を絶賛されたらしい。彼の名前はあまり知らなかったが、エジソンは誰でも知っている人だと思うが、電球の発明の彼がケルビン卿を崇拝していたらしい。何とすごいことだろうか!

1892年1月に36歳の若さで亡くなっている。